感覚は眠っている

TVで、障碍で生まれつき色覚を持たなかった青年が、色を音の高さに変換する機械に出会い、豊かな感覚を獲得し、さらには芸術系の学校を出て絵も描いているという話を見た。彼が見ている世界がどんなものなのか体験してみたいと思った。

昔、身体障碍者がスキューバダイビングするのを支援するためのトレーニングを受けていたことがある。他人を支援するためには、その人が世界をどのように感じていて、どういう局面でどのようなニーズがあるのかを理解できなければならない。それで、障碍を持つ状況を模擬体験するというカリキュラムがあった。例えば、脊椎の損傷で下肢に障碍を持つ人のことを理解するため、足をマジックテープで拘束した状態で車椅子に座っているところから始まってプールに実際に潜水するといった具合である。
視覚障碍の模擬というのもあった。黒くつぶして何も見えなくしたマスクを装着して海に潜水するのである。見えないのにダイビングしておもしろいのかと思ってしまいがちだが、肌で水の温度・流れ・圧力などを楽しむのだそうだ。視覚を奪われた状態での潜水は、やる前は恐怖で大変緊張していたが、もぐってみると、今まであまり意識していなかった感覚がよみがえってくる感じで、新鮮なものだった。

少し前に、香川の直島で「南寺」という作品を見た。安藤忠雄が修復した古い民家で、暗闇の中、人間の視覚の限界ぎりぎりの光が部屋の片側にある。手探りで部屋に入ると、最初は何も見えないのが、10分近くじっとしていると、目が冴えてきて、タレルが作った光の作品が突然目に入ってくるのである。いったん見え始めると、いままで暗闇だった部屋の中にあったいろんなものがはっきり見える。これは衝撃的な体験だった。

眠っている感覚を呼び起こしたいと思う。

昼食に入った店で見た週刊誌を読むと、世の中には、真っ暗闇の中で行う舞台というのもあるそうだ。開幕のベルが鳴っても照明が入らず暗闇の中で演じられ、観客は感覚を研ぎ澄ましてそれを「観る」らしい。いってみたいと思う。
ダイアログ・イン・ザ・ダークも一度体験してみたいとずっと思っているのだが、なかなか機会を作れず残念だ。