XO/Sugar批判をあえて批判する

XOのハードウェアやソフトウェアについて、いろんな批判があります。個別の問題の多くは、多いに同意できるもので、自分自身触っていて腹立たしく感じるものもあります。ただそれらの批判を読んだ後いつも思うのは、「それって誰がどうやって使うときの問題?」ということです。
XOは、はじめてコンピュータに触れる低学年の子供を主たるユーザに想定しており、それを前提にハードやソフトのいろんな設計判断がなされています。OLPC関係者からの情報なので割り引くとしても、本来のユーザである子供がXOに触れたときの評価はpositiveなものであったようです。
手に入れたXOをどう使おうとその人の自由なのですが、本来の想定ユーザでない大人が、想定されていない使い方をしていて「使えない」という評価をする場合、本来の目的に対して的外れな指摘でないかはチェックする必要があります。

また、既存のものが本来の目的に対して機能していないという観察から、既存のGUIを使うのでなく、今のSugarがあえて新規に設計されています。枯れているものを使うべきだったというのであれば、既存のものが本来の目的に対して機能することを示す必要があるでしょう。
それにこれはバージョン1のソフトウェアで、時間とともに改良されるのですから、今の状態で全否定する必要はないと思います。少なくとも、「本格的に使うならバージョン3になるまで待て」と言われるいろんな商用ソフトのバージョン1と同等以上にがんばっていると思うのですが。

反面、実験的なことをしているという批判は一部あたっているかもしれません。constructionismも似たようなことが言えます。